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「さくらん」と「赤線地帯」

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遅まきながら、「さくらん」を観た。

「映画」というより、「ウェルメイドなPV」といった感じ。
道で例えるならば、「平坦な道」。
道端に季節の花々(映像美)が、狂ったように咲いているが、
そこには、谷の岩清水(エロス)や、起伏(カタルシス)が無い。


もちろん、蜷川実花の映像表現(色彩感覚)は見応えがあった。
ディテールにも凝っているから、快楽が視覚に襲い掛かってくる。
そして、「金魚」を遊女のメタファーにし、
キーワードとして活かした部分が非常に良かったと思う。


圧巻だったのは、背景の色彩を強調した秀逸な画造り。
これが、蜷川実花の手によるものなのか・・・と感心していたら、
クレジットに、巨匠・溝口健二の助手を務めた照明技師の名が!
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しかし、いくら綺麗な映像でも、これだけド派手な色彩の洪水が続くと、
逆に、昂揚感を味わう事が出来なかった。(映像に奥行きが無い)
ポップに徹するなら、徹底して拘ってほしかったなぁ。
同じポップという舞台に立てば、V・ヒティロバーに完敗・・・
いや、「うに煎餅」にさえ劣るかも。


比べるのに無理があり過ぎるが、S・キューブリックの
「バリー・リンドン」を観た方が、100万倍美しい映像体験が出来る。


しかも、江戸期の物語なのに、トリップ感を感じられないのが致命的。
要するに、コスチュームプレイの粋を、一歩も脱していないのだ。
吉原はテーマパークではない。


制作者は、巧みな手法でフェミニスト好みの作品に仕上げているが、
「遊廓」という舞台を借りなくても良かったように思う。
「遊廓」というのは、「痛み」のリソースなのだから。


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そして、土屋アンナにはガッカリ…。
安い香水の匂いを纏ったヤンキーにしか見えないから、
客から引っ張りだこになるという“花魁としての”説得力が無い。
しかも、「しわがれ声」が「ハスキーボイス」とは言えない様な下品さで、
その粗野な台詞回しと併せ、単なるイキった女優にしか見えない…。
(彼女は魅力的な女優である。決して貶してるわけじゃない)
岡場所にいる伏玉のほうが、100倍似合うような気がする。(褒め言葉)

但し、菅野美穂と、木村佳乃(素晴らしい!)の健闘ぶりには舌を巻いた。
この2人をキャスティングしただけでも救いがある。









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先日、大阪のシネヌーヴォで「赤線地帯」を観た。
「赤線地帯」は、巨匠・溝口健二の代表作にして、遺作。
男の「滑稽さ」、「弱さ」を上手く活かすと同時に、
女の「強さ」、「哀しみ」をグーッと浮かび上がらせている。
一歩間違うと、臭いメロドラマに陥ってしまうような脚本だが、
優れた演出と役者の力のお陰で、最後まで一気に観る事が出来た。
人間の情念を、短い尺の中で鮮やかに描いている。

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赤線が舞台の映画だけど、そこに官能は不要。
何故かと言うと、唯一無二の存在感を放つ肉感女優・京マチ子がいるからだ。
そして、若尾文子の天性のファムファタールっぷりが、物語に情感を添える。


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今の女優が、この世界観を表現出来るだろうか?
「さくらん」だったら、若き日の烏丸せつ子、浅野温子、荻野目慶子、
伊佐山ひろ子、故・夏目雅子らが鮮やかに演じてしまうだろうけど、
木村佳乃や、菅野美穂に「赤線地帯」の娼婦達は演じられないだろう…。

別に、懐古主義で言ってるわけじゃない。
当然の事だが、薄っぺらなTVドラマでは、女優が育たないのだ。
そして、最近の邦画は、ヴィジュアルだけは一級でも、
映画の「肝」である脚本・俳優には、何ら深みが無い。
(それはそれで良いのかもしれないけど)

観客の鑑賞力も落ちてる。
良い映画を観て無いから、小手先の技術で撮った作品を観て、すぐ感動する。

表層をなぞるだけでは、濃密な映画体験は出来ない。
いや、もしかしたら、観客は映画に【娯楽性】しか求めて無いのかもしれないが・・・






しかし、このラストにはヤラレたな・・・脱力。
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