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赤目四十八瀧心中未遂

98年に直木賞を受賞した車谷長吉の小説「赤目四十八瀧心中未遂」の映画化。

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鈴木清順の歴史的傑作「ツィゴイネルワイゼン」や、阪本順治の「どついたるねん」、

坂東玉三郎の「外科室」をプロデュースした荒戸源次郎が監督というだけあって、

作品に漂う観念性と大人の稚拙さ、そして、独特の美学が篭った映像は一見に値する。

舞台は、兵庫県の尼崎。(尼崎~出屋敷~大物あたり)

尼崎は、独特の土地柄である。

近代化が終了するまでの強烈な街のカオスは、釜ヶ崎とは違った個性で一時代を築いた。



偉大な小説を映像化するというのは、相当難しい。

舞台は、昭和50年代の尼崎である。

日本全国、どこも同じような街並みになってしまった現代で、

小説に出てくるような「アマ」特有の雰囲気を、どう出してゆくのか?

「三丁目の夕日」のようなノスタルジーな作品だったらCGもアリだが、

人間の情念や業が匂い立つような映像は、CGでは表せないのだ。

尼崎ロケを敢行しているが、往時の街の勢いは感じられない。

ここも、再開発のせいで情緒が無くなってしまった・・・



唯一、尼崎のディープな部分を感じられる「かんなみ新地」が出てきたのは良かった。

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どういう経緯でロケ出来たのだろう。





小説に出てくる当時の尼崎は、「流人たちの掃寄せ場」である。

↓以下、小説より。

「私は来る日も来る日も、阪神電車の出屋敷近くのブリキの雨樋が錆びついた町で、

焼鳥屋で使うモツ肉や鳥肉の串刺しをして、口を糊していた。

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東京での二年余の失業生活を含めれば、漂流者の生活に日を経るようになって六年目の事である。

迦陵頻伽の刺青が背中一面に彫られたアヤちゃん、

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昔進駐軍相手にパンパンをしていたという焼鳥屋の女主人、

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同じアパートに住む、顔面蒼白の彫物師…

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そして、友を捨て、家族を捨て、職を捨て、流れ流れた私」。

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キャスティングが絶品。



まず、この作品で賞賛を浴びた寺島しのぶ。

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彫物師の内田裕也。(国宝級の存在感!)

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その他に、

流れ者を演じた大西滝次郎、焼鳥屋の女主人・大楠道代、

老娼婦の絵沢萌子、新井浩文、麿赤児・・・

このクセのある演者たちを、ただ眺めてるいだけでも最高に面白い。





小説と違い、この映画に漂うのは「大人の寓話」という雰囲気。

どんなに工夫を凝らしても、当時の濃厚な空気感を映像化するのは困難だ。

時代劇を、時代考証に則って制作する方が容易いかもしれない。





家族や地域社会から逸脱したくても、ありとあらゆる共同体が「仲間」というやつを用意している。

例えば、死体愛好家にも共同体があり、何かから離れようとして

刺青を彫ったり男根にピアスを付けても、そこには仲間が待っている。

何かから決定的に離れたくても離れられない現代は、ある意味不幸な時代なのかもしれない。

この映画を観ていて、そう思った。

私も、逸脱して世間から消えたい(笑)。

世間からの逸脱は、男にとっては究極の贅沢だと思う。

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