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司馬遼太郎が愛した町  南伊予の春(その3)

大事な用事が終わったので、皆と「卯之町」までドライブ。

ここは、国民的作家・司馬遼太郎が激賞した歴史の街で、旧宇和島藩領だった。
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ちなみに、司馬遼太郎は、南伊予一帯(宇和島を筆頭に、卯之町、大洲)を最も愛していたそうだ。


まず、日本の夜明けをリードした蘭学者・高野長英の隠れ家址に行く。
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高野長英は、この地で医業を営んでいた江戸末期の代表的洋学者・二宮敬作を訪ね、ここに滞在した。
「二宮尊徳あるを知って、二宮敬作あるを知らず」と言ったのは、高名な地理学者・志賀重昂である。
2人の巨人が、中央から遠く離れた僻遠の地で交流を温めていたというのは面白い。
(ここに来る前、高野長英は、名君・伊達宗城に招かれ、宇和島城下で暮らしている)


写真では、この町の魅力が全く伝わらないので、司馬遼太郎の著書「街道をゆく~南伊予・西土佐の道」から抜粋。
「100年、200年といった町家が文字どおり櫛比(しっぴ)して、200メートルほどの道路の両側にならんでいる、こういう街並は日本中にないのではないか。
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拙作の『花神』に二宮敬作が出てくる。シーボルトの娘のイネ(伊篤)も出てくる。
「おイネさんが蘭学を学ぶために卯之町の二宮敬作のもとにやってくるのは安政元年ですから、
おイネさんが見た卯之町仲之町といまのこの街並とはさほど変わらないのではないでしょうか」
「シバさん」
須田画伯(須田剋太)が画板を胸に当てて寄ってきた。
「ここは大変なところです。京都だって奈良だってこんな一角がありますか」
目が血走っている。
私は奈良の町屋を思いうかべながら、やはり仲之町以外に遺ってないかもしれない、と思った。
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「たとえあっても、ここのように町全体があかるくないですね」
このあかるさは家々に白壁がふんだんにつかわれているということもあるし、道路が広いということもあるかもしれない。
しかしそれにしても卯之町という江戸期の城下町でもない土地によくもこれだけ立派な町屋と町並が形成されたものだと思った。
(宇和島十万石というのは、相当なものであったらしい)と思わざるをえない。


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江戸末期のある時期、蘭学は宇和島といわれたときがあった。
わずか十万石の、それも江戸や上方からはるかに離れた南予という僻遠の地であたらしい学問の花がひらくには、
それなりの経済の裏打ちが必要であったろう。
藩が一冊二十両、三十両という洋書を長崎や江戸で購入させ、早い時期には高野長英、
次いでは村田蔵六(大村益次郎)などの蘭学家を遠くから招聘し、その他、理化学や医学の器械、
器材を購入するなど、新学問の育成というのは大変物入りなものであった。
この藩の財政が農業にのみ依存せず、小藩なりの規模で殖産興業と商品経済に力を入れていたことを
その裏側の実情として見のがすことはできない。
幸いこの卯之町という商人町の仲之町が、江戸末期の商家の家並をのこしている。
この一角に立つだけでも、宇和島藩の当時の実力が想像できるのではないか」
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この旅館は「松屋」。
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宿泊した偉人たち・・・  個人的に、前島密、新渡戸稲造、賀川豊彦(ノーベル賞候補に2回選出)の超ビッグネームには驚いた。
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来館した偉人たち・・・  後藤新平、犬養毅、浜口雄幸(ライオン首相)、尾崎行雄など、超ド級豪華メンバー!
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