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2010年11月

東京アンダーグラウンド Vo.2

次に向かったのは円通寺。(荒川区南千住)
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この近代的寺院建築の微妙な感じ・・・(苦笑)
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京都や奈良の寺院建築に慣れ親しんできた者からすれば、こういう建築は虫唾が走るのだが・・・
最近は見慣れてしまった(笑)。  まぁ、こういうのもアリかな、と。


円通寺で見たかったのは、彰義隊に関する遺構。

という事で、出た~~ 「寛永寺黒門」!
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弾痕が生々しい・・・・・・・
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上野戦争の激戦を今に伝える黒門は、維新後に帝室博物館に収蔵されていたが、
明治40年に彰義隊の戦死者を埋葬していた円通寺に下げ渡されたそうだ。
※昭和61年・大規模修理が行われている。


彰義隊士の墓。
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松平太郎の墓。
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あの榎本武揚の女房役として活躍した偉人。
維新後は貿易商や織物業を展開するが、いずれも失敗し、流浪の人生を余儀なくされた。
享年71。


大鳥圭介・追弔碑。
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播磨(兵庫県)赤穂の生まれ。
緒方洪庵の適塾(大坂)に学んだ後、江川太郎左衛門の門人となって兵学を研究。
江川の推薦で幕臣になり、幕軍の洋式訓練を担当、鳥羽伏見の戦いを経て陸軍奉行となる。
その後、榎本武揚、新選組副長・土方歳三などの部隊と合流し、蝦夷地へ。
蝦夷共和国を樹立し、陸軍奉行に着任。
だが、共和国は官軍に追い詰められ、五稜郭に閉じ込められる。
「死のうと思えばいつでも死ねる。今度は一番降参してみてはどうか」と言い放ち、あっさり降参。
入獄後、政府に出仕し、開拓使御用掛、工部省・工部頭、工部大学校校長、学習院長、華族女学校校長などを歴任。
享年80歳。


新門辰五郎の碑があった!
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何で、こんな所に?・・・と思ったが、上野戦争では鉄砲避けの米俵を運搬したそうだ。
山岡鉄舟とも縁が深いし、まぁ、ガチガチの佐幕派だから不思議じゃない。

ちょっと気になった土肥庄次郎之碑。(榎本武揚・書)
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この碑、不逞の者にへし折られたみたい・・・。(そのせいで、墓の周りに柵が設けられたらしい)
右後方にあるのが墓石。

放蕩息子だった為に廃嫡された土肥は、彰義隊では諜報活動を展開。
上野戦争後、吉原遊廓の幇間「松廼舎露八」として名を馳せ、明治36年・71歳で没。
「死んだら、うちの菩提寺ではなく、彰義隊の野郎がたくさんいる円通寺に埋めてくれ」というのが遺言だったそうだ。


他にも沢山の墓や碑があったが、まだまだ不勉強で、色々なものを見落としてしまった…。
機会を作って、もっと彰義隊の事を調べ込んでみたいと思う。

さて、ここから非常に興味深い場所へ向かうのだが、その途中で超有名店を発見!!
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同行者によると、「並んでないのは珍しい」との事だった。
昼食は他店で済ませてたので入れなかったが・・・  うーーーいつか食べるぞ!
(といいつつ、ふわトロの鰻は、あんまり好みじゃないんだよなぁ…)

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東京アンダーグラウンド Vo.1 

という事で、今度は昼間に回ってきた。

この前、中に入れなかった浄閑寺へ。
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寺の前にある三叉路の右側の道路に、山谷掘(水路)があった。
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古地図を観ると、手に取るように解る。
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船に乗せられた遊女の遺体は、この山谷掘を通って浄閑寺まで来たのだ。

これは、門の脇に鎮座する地蔵。
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吉原遊廓「四つ目屋」の遊女・小夜衣を供養する為に建立されたものと伝えられる。
※小夜衣は、妓楼の主人から放火の罪を着せられ、火炙りの刑に処された薄幸の遊女。

バックに聳えるマンションと墓石のコントラストが、何ともいえない雰囲気を醸している。
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この日は曇天という最高の天気。(アングラな場所を回るには曇天が一番良い)

さて、墓地の中へ・・・
「史蹟」となっているところが凄い!関西だったら考えにくい事だ。
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東京の奥深さは、京都や奈良とは別のところにある。

墓地へ入った所のすぐ右手にあるのは、吉原遊廓・悲劇の花魁「若紫」の墓。
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若紫は、浪花(大阪)出身。本名:勝田のぶ子。
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明治31年、満16歳の時に吉原へ。
麗人とも言うべき美しさ&知性に高額の値が付き、名門・角海老楼へ預けられる。
店出しの時に与えられた「若紫」という名は、源氏物語に登場する女主人公の事で、
最高クラスの花魁にだけに与えられる特別な名前だった。
若紫は、遊廓という苦界に身を置きながら、信じ難いほど優しく、辛い態度を一切見せない“張り”があった。
通常、年季が明けるのは10年と言われるが、圧倒的人気を誇る若紫の年季は、僅か5年で明けた。
当然、身請け話もあったが、全て断った。
若紫には恋人がいたのだ。
年季が明ければ、晴れて恋人と一緒になれたのだが・・・
あと5日で年季が明けるという時に、精神を病んだ客に惨殺されてしまう。(享年22)
哀れな死を不憫に思った角海老楼が、わざわざ墓を建てた。
(遊女の為に墓が建てられるのは稀)

このように、「角海老」(角海老楼)の文字が刻まれている。
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因みに、昭和初期までの浄閑寺は手入れが行き届いておらず、土の中から骨が飛び出し、
雨がそぼ降る夕暮れには、鬼火(リンから発生)の飛ぶ事があったらしい。
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こちらは、本庄兄弟の首洗い井戸。(この話も悲惨すぎる)
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そのすぐ傍には、琵琶を弾く女の像があった。
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どんな謂れがあるのだろう?


そして・・・・・ これが、ずっと見たかった「新吉原総霊塔」。
ここに、約2万人の遊女が葬られているそうだ。
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「投げ込み寺」の名の通り、実際に遊女が投げ込まれた事もあったそうだが、
それは、「足抜け」や「心中」など、“吉原の掟”を破った場合のみ。
「人間」として葬ると祟られるので、犬や猫のように扱って畜生道に落とし、
丸裸にした遺体を荒菰に巻いて投げ込んだと言われている。
(関東大震災や東京大空襲で亡くなった遊女たちも投げ込まれた)
それ以外の遊女は、法要を営んで普通に供養してもらったのだろうか?(そうだったら安心だが)
台座には、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」という、有名な句が刻まれている。

台座窓から、遊女たちの骨壷が見える。
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この本は、天才写真家・アラーキー(荒木経惟)と、江戸風俗研究家・漫画家の杉浦日向子が共作した「東京観音」。
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これは、浄閑寺に関する箇所。(読まれたし)
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「子供の頃、供養塔に乗って遊んでたんだもんね。
インディアンごっことかして。
塔の中の、遊女たちの骨が散らばってるところにだって、カギなんかかかってなかったんだよ。
自由に出たり入ったりして、骨投げ合いっこしたりもしてたんだ」(アラーキー)

「それはいいことしましたね、荒木さん。
投げ込み寺のおねえさんたち(遊女)だってうれしかったんじゃないですか。
冷たい地下で、ひっそりさみしく死んでるよりは、少年になぶられてたほうが、華やいで楽しかったと思いますよ」(杉浦日向子)

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夜の吉原散策&酉の市

念願の吉原&酉の市に行ってきた。

まず、東京最後の路面電車(都電)に乗って、三ノ輪へ。
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同行者が言うとおり、「三丁目の夕日」みたいな雰囲気。(商店街も凄い)
こんな濃厚なノスタルジー、他都市では味わえないかも。

駅を出てすぐの所にある「浄閑寺」(投込寺)。
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全ての遊里ニストにとって「聖地」の一つであり、文豪・永井荷風や、アラーキー(荒木経惟)が、深い想いを込めた寺。
花又花酔の狂句「生まれては苦界 死しては浄閑寺」は、あまりにも有名。
そう、ここは、吉原遊廓の遊女たち(遺体)が投げ込まれた寺なのである。


門の脇にあるお地蔵さんは、吉原遊廓「四つ目屋」の遊女・小夜衣のために建立されたものらしく、
身体の悪い箇所を撫でると御利益があるそうだ。
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※小夜衣は、妓楼の主人から放火の罪をかぶせられ、火炙りの刑に処されたらしい。

浄閑寺の過去帳によると、亡くなった遊女たちの平均年齢は、21,7歳(!)だそうだ。

寺の前にある三叉路の右側が、山谷掘(水路)だった。
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吉原の多くの遊女たちが、猪牙舟に乗せられて山谷掘を北上し、ここまで運ばれてきたのだろう。

因みに、昭和初期までの浄閑寺は手入れが行き届いておらず、土の中から骨が飛び出し、
雨のそぼ降る夕暮れには、鬼火(リンから発生)が飛んだらしい。
夕方遅かったので閉まってたのが残念だったが、在りし日の浄閑寺界隈の空気を肌で感じることが出来た。
今度来た時は、吉原総霊塔、悲劇の花魁・若紫の墓、荷風の詩碑・筆塚を見てみたい。

ここから数分行くと、酉の市。(関西で言うところの「えべっさん」)
それにしても、物凄い人出&熱気だった。
西宮えびす神社の賑わいを髣髴とさせてくれる。
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これが、酉の市に欠かせない縁起物の「熊手」。(えべっさんは「福笹」)
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映画「吉原炎上」に、酉の市のシーンが出てくる。(熊手)
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江戸時代、日本堤の大門以外からは入る事の出来ない遊廓が、酉の市の日は解放された。
お歯黒どぶの刎橋も下ろされ、出入り禁止である一般の女性たちも自由に出入り出来たそうだ。
普段、廓の外に出られない遊女たちも、客の男と連れ立って、酉の市に行く事が出来たという。


場所柄、歌舞伎役者、芸能人、大政治家一族の名があった。
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熊手を買うと、店の従業員たちが「三本締め」をやってくるのが面白い!!
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綺麗な店子も沢山いた!
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200軒以上を超える屋台も楽しい。
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焼餅(シャーピン)とか、ケバブサンドなどを食べつつ、酒を飲みながら歩くのが最高だった。
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そして、ここからが本番・・・ 吉原散策!

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