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東京アンダーグラウンド Vo.2

次に向かったのは円通寺。(荒川区南千住)
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この近代的寺院建築の微妙な感じ・・・(苦笑)
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京都や奈良の寺院建築に慣れ親しんできた者からすれば、こういう建築は虫唾が走るのだが・・・
最近は見慣れてしまった(笑)。  まぁ、こういうのもアリかな、と。


円通寺で見たかったのは、彰義隊に関する遺構。

という事で、出た~~ 「寛永寺黒門」!
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弾痕が生々しい・・・・・・・
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上野戦争の激戦を今に伝える黒門は、維新後に帝室博物館に収蔵されていたが、
明治40年に彰義隊の戦死者を埋葬していた円通寺に下げ渡されたそうだ。
※昭和61年・大規模修理が行われている。


彰義隊士の墓。
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松平太郎の墓。
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あの榎本武揚の女房役として活躍した偉人。
維新後は貿易商や織物業を展開するが、いずれも失敗し、流浪の人生を余儀なくされた。
享年71。


大鳥圭介・追弔碑。
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播磨(兵庫県)赤穂の生まれ。
緒方洪庵の適塾(大坂)に学んだ後、江川太郎左衛門の門人となって兵学を研究。
江川の推薦で幕臣になり、幕軍の洋式訓練を担当、鳥羽伏見の戦いを経て陸軍奉行となる。
その後、榎本武揚、新選組副長・土方歳三などの部隊と合流し、蝦夷地へ。
蝦夷共和国を樹立し、陸軍奉行に着任。
だが、共和国は官軍に追い詰められ、五稜郭に閉じ込められる。
「死のうと思えばいつでも死ねる。今度は一番降参してみてはどうか」と言い放ち、あっさり降参。
入獄後、政府に出仕し、開拓使御用掛、工部省・工部頭、工部大学校校長、学習院長、華族女学校校長などを歴任。
享年80歳。


新門辰五郎の碑があった!
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何で、こんな所に?・・・と思ったが、上野戦争では鉄砲避けの米俵を運搬したそうだ。
山岡鉄舟とも縁が深いし、まぁ、ガチガチの佐幕派だから不思議じゃない。

ちょっと気になった土肥庄次郎之碑。(榎本武揚・書)
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この碑、不逞の者にへし折られたみたい・・・。(そのせいで、墓の周りに柵が設けられたらしい)
右後方にあるのが墓石。

放蕩息子だった為に廃嫡された土肥は、彰義隊では諜報活動を展開。
上野戦争後、吉原遊廓の幇間「松廼舎露八」として名を馳せ、明治36年・71歳で没。
「死んだら、うちの菩提寺ではなく、彰義隊の野郎がたくさんいる円通寺に埋めてくれ」というのが遺言だったそうだ。


他にも沢山の墓や碑があったが、まだまだ不勉強で、色々なものを見落としてしまった…。
機会を作って、もっと彰義隊の事を調べ込んでみたいと思う。

さて、ここから非常に興味深い場所へ向かうのだが、その途中で超有名店を発見!!
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同行者によると、「並んでないのは珍しい」との事だった。
昼食は他店で済ませてたので入れなかったが・・・  うーーーいつか食べるぞ!
(といいつつ、ふわトロの鰻は、あんまり好みじゃないんだよなぁ…)

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