« 第45回・葛飾納涼花火大会!! | トップページ | 江戸の夏 »

「剛腕」の称号が最も似合う男・伊良部秀輝、逝く

千葉ロッテ、NYヤンキース等で活躍した元プロ野球選手・伊良部秀輝が亡くなった。
朝、ツレから第一報を聞いたときは(まだ寝てた)、信じられず、夢でも見てるのかと・・・

自ら命を絶つという最期・・・
幾多のトラブルや、その豪快な野球人生を思うと、「伊良部らしい最期」だと思ってしまった。

エクスポズ時代の笑顔。
Hideki_irabu
画像検索すると、ふてぶてしい表情の画像ばかりだが、本来は、このような笑顔の似合う男だったんじゃないかと。

何かの番組で解説のようなものを聞いたとき、卓越した理論の持ち主と感じたし、語り口が滑らかで聞きやすかった。
めちゃくちゃ頭の切れる人だったと思う。 BSの野球中継で、彼の解説を聞いてみたかったなぁ。
きっと、歯に衣着せぬ物言いで、独自の野球理論を展開してくれただろう・・・ 本当に勿体ない。

尼崎で小中を過ごしたからか、関西弁が時折出ていた。
故に、ユーモア精神も持ち合わせていただろう。
それなのに、自らの人生にユーモアを持ち込めず、自分自身を追い込んでいったのだろうか。
私自身は、彼特有のコダワリ(美学)が、彼を死に向かわせたのだと思う。
その美学と言うのは、「中途半端に生きたくない」という事だと・・・ 勝手に思っている。
上にも書いたが、この幕引きは、伊良部らしいと、改めて思う。
Hideki_irabu_1

尽誠学園時代の伊良部の大ファンだった。
今でも良く覚えてるのは、甲子園で魅せた勇姿。
特に、2年生時に対決した東海大五との熱戦(接戦)と、3年時の浦和学院戦。
東海大五戦は、まだヒョロッとした体型の伊良部が頼りない感じで、その端正なマスク(イケメンだった)が
散りゆく大型投手の儚さを思わせ、何か劇画の中のヒーローのように感じた。
3年時は、体が一回り大きくなって、MAX148キロの剛腕投手として甲子園に帰ってきた。
高校通算83本塁打(当時の1位)の怪物・鈴木健を力で捻じ伏せ、強打・浦和学院を抑え込んだ力投は圧巻だった。
プロに入ってからも、清原に150キロ台後半の剛速球で挑むなど、数々の剛球伝説を作った。
MLBに渡ってからの快投も記憶に新しいが、もう少し万全な体調で過ごせたら・・・
それでも、最強だったNYヤンキースのローテを守り、月間MVPを2度も獲ったのは凄い。

以下、週間SPA(7月19日号)の最新インタビューから。
【MLB行きの時の騒動について】
ヤンキース入りを約束してくれてた球団(ロッテ)が、勝手にパドレス行きを決定。
伊良部が、それを突っぱねたところ、新聞が「ワガママ伊良部」と書きたてた。
ルール違反をしてまでMLBに行こうとは思ってなく、ルールに則って1年間浪人すれば、
任意引退選手となり、どこの球団とでも交渉できる。
そうしたいと思い、記者の人たちに、重要な事は曲げないで書いて欲しいと資料を渡した。
だが、事実と違う事を書かれ、野球のボールはコントロール出来るが、メディアはコントロール出来ないと思ったそうだ。

【父親がアメリカ人とは知らなかった】
父親を探しにアメリカへ行くという報道はウソで、アメリカに行くまで父親がアメリカ人とは知らなかったという。
ヤンキース入団後・・・98年のキャンプの時、球団から連絡があって、父親と名乗る人が来た。
ビックリしてすぐ母親に確認したら、父親がアメリカ人という事は事実だと言われる。
(父親に対しては、これといった感情は生まれなかった)

【メジャーを意識しだしたのはいつ?】
中学の時、TVでサイチェル・ペイジというピッチャーが亡くなった時の特番を観て度肝を抜かれた。
長身のピッチャーで、ムチの様にしなる体。 物凄く細いが、全身を使って投げる。
あんなふうになりたいと、さんざん真似したそうだ。
ロッテに入ってからも、6年間は彼のように投げたいと思っていた。
彼以外でも、自分と同じくらいの身長(190cm)のピッチャーがどのように体を使うのか研究しようとすると、
日本にはいないので、どうしてもメジャーのピッチャーになってしまう。クレメンスとかグッデンとか。
当時はメジャーの映像を観る機会がなかなかないので、雑誌の分解写真を観て、どうやって投げてるのか、
いつも考えていた。
ヤンキースに行きたいと思ったのは、常にワールドチャンピオンを狙える強豪だったから。
「野球のユニフォームを着た人間なら、ワールドチャンピオンのチームでやりたいと思う」と。

あと、横の変化球が投げられなかったから(投げなかった)、勝ち続けられなかった事とか、
勝ち負けに繋がらない速球はいらない等・・・伊良部の野球論が続く。
球の出所が見づらいピッチャー(杉内の名を挙げた)を褒めたり、星野阪神時代について語ったり、
NPBに帰ってきたとき、不自然なほど飛ぶボールに疑問を持ったり・・・
そして、事業(うどん屋)の事、腱鞘炎の事(スライダーのせい。今でも布団をめくるだけで痛い)、
監督の器ではない事、コーチならやってみたい(ここでも伊良部独自の論)、日本に帰りたいetc・・・

伊良部がコーチをやれる環境があったら良かったのに・・・と、つくづく思う。
彼は、アウトサイダー的経験から、自信の無い選手の気持ちを汲む「技術」があっただろう。
勿論、投球術に関しても一家言持ってたから、良いコーチになれたんじゃないかと。
数々のトラブルさえなければ、その可能性もあっただろうが・・・。

とにかく、素晴らしい選手だった。  合掌。

|

« 第45回・葛飾納涼花火大会!! | トップページ | 江戸の夏 »

スポーツ」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1328421/41017742

この記事へのトラックバック一覧です: 「剛腕」の称号が最も似合う男・伊良部秀輝、逝く:

« 第45回・葛飾納涼花火大会!! | トップページ | 江戸の夏 »